健康を再定義してみた

――ヘルシーマンの思索ノート――

私たちは「健康」という言葉を、あまりにも当たり前に使っている。
健康診断の結果が良ければ健康。血圧が正常なら健康。病気がなければ健康。

本当にそうだろうか。

私は最近、この問いを自分に投げ続けている。

きっかけは、97歳になる祖母の存在だ。祖母は今も自分の足で歩き、食べたいものを食べ、ひ孫に囲まれて穏やかに笑っている。多くの人が見れば「健康そのもの」と言うだろう。だが同時に私は思う。人生の最終局面で、祖母は何を感じるのだろうか。

健康とは「途中経過」では測れず、最後にどう振り返るかという「結果」なのではないか。

この違和感から、私は健康を改めて考え直してみることにした。


1.WHOや厚生労働省が定義する「健康」

まず、現在の代表的な定義を見てみよう。

World Health Organization(WHO)は健康を次のように定義している。

健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病や虚弱がないことではない。

この定義は1946年に採択され、現在も世界的に広く引用されている。

日本の厚生労働省もまた、身体的・精神的・社会的な側面を含めた健康づくりを推進している。特定健診や生活習慣病予防、メンタルヘルス対策など、多くの施策が実施されている。

これらは非常に重要だ。
感染症の制御、がん検診、メンタルヘルス対策などは社会の基盤を支えている。

しかし私は感じる。

この定義は「状態」を示しているが、「人生の物語」までは含んでいないのではないか、と。


2.健康は“結果”なのかもしれない

多くの人は、健康を「今の数値」で判断する。

血糖値、血圧、BMI、睡眠時間、運動量。
確かにそれらは重要だ。

だが、30代、40代、50代の私たちは気づいているはずだ。

数値が良くても、どこか満たされない夜がある。
仕事で成果を出しても、孤独を感じる瞬間がある。
忙しく働きながら、「このままでいいのか」と自問することがある。

もし健康が単なる数値なら、こうした違和感は説明できない。

健康とはもしかすると、「人生をどう振り返るか」という時間軸を含む概念ではないだろうか。

人生の最後に「いい人生だった」と思えること。
それは健康の一部ではないだろうか。


3.納得感という視点

私は健康を考える中で、「納得」という言葉にたどり着いた。

長寿でも退屈な人生。
病気を抱えながらも挑戦に満ちた人生。

どちらが健康だろうか。

簡単には答えられない。

だが、人生の終わりに「納得できるかどうか」は重要な指標になる気がする。

納得とは、
・挑戦したこと
・大切な人と過ごした時間
・自分なりに誠実に生きた感覚

それらが統合された状態だ。

健康は「病気がないこと」ではなく、「生き方に納得できること」かもしれない。


4.他者の存在を抜きに健康は語れない

ここで一つ、大きな気づきがあった。

人は一人では生きられない。

私たちは、家族、友人、同僚、社会の中で生きている。
承認され、否定され、支えられ、支えながら生きている。

人間は極めて社会的な生き物である。進化生物学者のEdward O. Wilsonは、人類の発展を支えたのは高度な協力関係だと述べている。

孤立は、身体的健康にも悪影響を及ぼすことが研究で示されている。

つまり健康は、自己完結しない。

他者との関係性の中でしか成立しない。


5.感謝という循環

私がさらに考えを深めたとき、浮かんだのは「感謝」という言葉だった。

誰かに感謝されること。
誰かに必要とされること。

それは人の存在意義を強く支える。

しかし同時に、感謝に依存しすぎると不安定になる。
他人の評価だけに自分の価値を委ねることは危うい。

そこで見えてきたのは「循環」という概念だった。

・誰かを助ける
・誰かに助けられる
・感謝を伝える
・感謝を受け取る

この往復運動がある状態。

健康とは、この循環が滞っていない状態ではないか。


6.愛という核心

議論を重ねるうちに、私は「愛」という言葉に行き着いた。

しかし「健康=愛」と単純化すると、どこか宗教的で極端に聞こえる。
違和感もある。

そこで私は考え直した。

愛は目標ではなく、結果ではないか。

人が人と関わり、支え合い、尊重し合う。
その成熟した状態を、私たちは「愛」と呼ぶのではないか。

愛を掲げるのではなく、
愛が自然に生まれる環境を整える。

健康とは、愛が生まれやすい状態を指すのかもしれない。


7.健康を再定義してみる

ここまでの思索を踏まえ、私はこう再定義してみたい。

健康とは、
身体が機能し、心が安定し、
他者との関係が循環し、
人生に納得できる状態である。

身体だけでもない。
心だけでもない。
社会的役割だけでもない。

それらが統合され、時間軸の中で「自分なりに良かった」と思えること。

これが私なりの健康の再定義である。


8.30~50代にとっての健康

働き盛りの世代は、責任が増える。
仕事、家庭、親の介護、子育て。

身体の衰えも感じ始める。
将来への不安も現実味を帯びる。

この世代にとって健康は、単なる長生きではない。

・家族と笑える体力
・挑戦を続けられる気力
・社会とつながる役割
・最後に後悔しない選択

これらを保てる状態こそ、本当の意味での健康ではないか。


9.極端にならないために

健康を「愛」や「納得」にまで拡張すると、抽象的になる危険がある。

だからこそ私は、現実の身体管理を否定しない。
運動も睡眠も食事も重要だ。

ただ、それらは目的ではなく、土台だ。

土台の上に、
人との関係、挑戦、感謝、納得が積み重なる。

健康はピラミッドではなく、循環だ。


10.最後に

もしあなたが今日、健康診断の数値を気にしているなら、
それはとても大切なことだ。

しかし同時に、こう問いかけてみてほしい。

・最近、誰かに感謝しただろうか。
・最近、誰かに必要とされたと感じただろうか。
・今日の選択は、未来の自分が納得できるだろうか。

健康は、病院だけで決まらない。
ジムだけでも決まらない。

人生の物語の中で決まる。

死ぬその日まで、
誰かとつながり、
自分なりに納得し、
静かに微笑める状態。

それを私は「健康」と呼びたい。

――ヘルシーマン

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